板前寿司ロゴ RSSフィード サイトマップ メディア関係者の方へ ご意見箱

~東北支援プロジェクト~
【私達がみた現実と。これからの希望を。】
 [現地レポート 2011.07.19-21]

3月11日に起きた「東日本大震災」により被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
私は幸いにも東京で仕事をしていた為、地震の恐ろしさしか感じ取る事が出来なかった。 しかし、一番怖いものは地震よりも津波であり、私達の知らないところでは悲鳴と恐怖に襲われていた事が現実である。 残念なことに今の私達に出来ることは小さな事でしか助けてあげられないかもしれない。
微々たる事しかできない、それでも何かしたい。 私達の会社は世間ではまだ知られていない小さな会社ですが 弊社の社長と事業部長を筆頭に会社全体で「東北支援プロジェクト」を立ち上げ、 私達は今後も東北を応援し活動を続けていきます。

今回の出張は弊社で行なっている募金活動で、皆様から集めたお金を直接、被災された小学校へ持っていき私達の手で届ける事、 そして岩手県伝統工芸品「南部鉄器」の風鈴に被災者の願いや夢・希望を風鈴短冊にのせ、日本の絆を強くし、 さらに世界へ配信するプロジェクトとして東北に行ってきました。

一日でも早く東北が復興するように願い、子供達の笑顔を取り戻したい。今回三日間の出張をレポートし、テレビやインターネットでは伝えられていない今の現状と、その中で希望を持って生きる人々がいて、まだ入社して日も浅く、社会人としての経験もない私が今回の三日間で体験したことを皆様にお伝えできれば幸いです。

(株)板前寿司ジャパン
営業企画室 山口 琴奈

弊社社長(以下:中村社長)と新幹線で待ち合わせ、盛岡駅を目指した。 途中、福島県郡山を通過するもいつもと変わらない風景が広がり、震災の影響を忘れさせられるようだった。
道中、中村社長との会話には「メディアは原発の情報しか流さない。だけど一番に地震と津波を忘れてはいけないよな」という話をして、今回の出張への想いを募らせた。
新幹線にも駅構内にも「頑張れ東北!」というメッセージが至る所に掲げられ、 私達のポロシャツに記されている「東北支援プロジェクト」マークにも強い想いが宿った気がした。

盛岡へ 盛岡へ 盛岡へ

 

 

 
盛岡へ 盛岡へ  

 

 

 

<盛岡駅到着>

伝統工芸品「南部鉄器」を訪ね、岩手県盛岡市にある株式会社【岩鋳】様を訪問。
まずは簡単に南部鉄器とは何か?
南部地方で作られた鉄の道具や器のことをいい、歴史も古く、これらは100年もの年月の間、使用できる日本文化のひとつです。 南部鉄器の南部は約400年間、南部信直公が盛岡に城を構え、藩主としてこの地を持っていたことに始まります。 砂鉄や岩鉄などの原料が地元で手に入り条件が良かったこともあり、約380年前から鉄器製造がされたと伝えられています。

今回訪問させて頂いた岩鋳様(担当:古舘様)は、「焼型法」という伝統技術で南部鉄瓶・湯釜をつくり、 「生型法」という近代設備の工場で鍋、ステーキ皿、灰皿、置物など1800点ほどのアイテムを製造している。 「岩鋳は新しい伝統を作りだし、南部鉄器の魅力を多くの人に知ってもらいたいと願っている。」とおっしゃっていました。 新しい伝統・・・板前寿司も新しい概念を取り入れている点で共通しています。

古舘さんのお話で、盛岡の方は一家にひとつは南部鉄器のものが置かれているということ。
急須も鍋も一生使える物が次の世代へと引き継がれていくという事で、 私と中村社長はその100年も使い続けることができる、次世代へ受け継がれる伝統の品ということで家族が繋がっていくという事に大変感動しました。

岩鋳訪問 岩鋳訪問 岩鋳訪問

 

 

 
岩鋳訪問 伝統工芸士  

 

 

 
岩鋳の南部鉄器
<急須が完成するまで…>

作業工程:急須であれば
[1]鋳型の組み立て [2]鋳込み [3]型出し・砂落とし [4]仕上げ [5]ホーロー加工 [6]着色 [7]磨き [8]箱入れ と全て職人さんの手作業で作られます。 また、こちらの職人さんは伝統工芸士として国家試験を通過したものが持てる称号なのです。 国家資格を有する者だけが伝統工芸士と呼ばれ、更に自分の作品に印を押すことができる唯一の職人さんなのです。
(中村社長も祖母に若手の伝統工芸士、八重樫さん作の急須を購入していました。)

今回、弊社で注文した風鈴はもちろん岩鋳様の南部鉄器でございます。 そっと吹く風にチリンと涼しげな音を奏でて演出してくれます。 江戸風鈴とはまた一味違う音色です。 この音色が妙に落ち着いてしまうのは私だけでしょうか。
弊社ではこの風鈴に板前寿司オリジナル短冊に避難された方々の思いをのせて世界へ届けます。 子供達のリアルな思い、心に秘めていた想い等が書かれており、心痛む文章が多くありました。 けれども、私達はそれに目をつぶってはいけない。 この思いを全ての人々に伝え、これからも皆で東北復興を続けていきたいと強く思いました。