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<取引先の(株)カネダイ訪問へ>

4年前から取引先である(株)カネダイさん。 昭和17年創業以来、船舶石油販売を始め漁業、ガス販売業、問屋廻来船業、水産加工業と展開している企業様です。 私達はその中の水産加工業とお付き合いをしています。 エビ・カニ・加工品など様々な商品を扱っており、私は今回初めてカネダイさんの事務所へ訪問致しました。
カネダイさんの事務所は海岸にあり、残念ながら津波に飲み込まれ事務所を失ってしまった為、海岸より内陸部に事務所を設けて再開。 町の中でも復興が早かったカネダイさんは終始「気仙沼を元気にさせるぞ!」という気持ちを持って町の復興第一陣を切りました。 カネダイさんからのお話はテレビでは報道されていない部分、裏の苦悩を話して下さいました。
震災当時、皆さん事務所で勤めておられカネダイ取締代表、佐藤雄二さん(右写真中央)を筆頭に弊社担当の熊谷公男さん(佐藤代表取締役の左)、震災前からあった余震で慣れていたせいかぐらぐら揺れているのにパソコンから離れず作業をする佐藤俊輔さん(同左手前二番目)。 そして小さなお子さんがいらっしゃる今野郎さん(同手前)。

カネダイ カネダイ

 

 

彼らからの話は心痛むどころか、壮絶な月日を過ごした体験談をお聞かせ下さいました。 今も尚、その辛さを我慢して生活している方がほとんどです。
震災時、最初は揺れがいつもと同じだと思って感覚麻痺しており、「あ、地震」と思った位。 しかしいつも以上に地震が長く、「やばい」と気付いたのは揺れて2分程経過してから。 地震は2分~3分もの時間揺れており、カネダイさんの従業員が「津波が来るから高台に逃げろ」と声をあげたのが逃げるタイミングだったと佐藤さんはおっしゃいました。 もちろんその際も揺れているので足元がふらふらで立っているのもままならない状態の中、従業員は家族の元に帰る人、各従業員の安全確保をするもの、それぞれ避難に向けて事務所を後にした。 歩く速度も違いますので、内陸部の避難先に行ける人もいれば、近くの避難先に駆け込む方と従業員は三箇所に避難した。
そして地震から40分経過したあたりで津波がやってくる。 今までは津波がきても2メートルから5メートルと比較的低い波であったが今回は様子が違うと感じた佐藤さん。 瞬く間に波が沿岸部に押し寄せ、あっという間に港に到着。 そして無惨な事に次々と家や車が流されていく光景を高台の避難先から眺めていたという熊谷さん。 そして津波が押し寄せた後が大変だったと紺野さんは言う。
なぜならば港近辺は船舶等があり船舶が町に押し上げられ、さらにはガソリンタンク等の石油が漏れ一瞬にして辺りは火の海へと化した。 気仙沼市は向かいに大島という島があった為に火の海は一日で鎮火したが、気仙沼より下の地域は三日間燃え続けていたというのです。
従業員の方は避難先から一歩も出られず、辺りは暗くなると火の海が光を灯すというのをじっと見つめるだけしかなかったとおっしゃっていました。 夜が明けて、次の朝も余震と恐怖から深い眠りにつけることはなく朝早くから市場の様子を見に出かけるカネダイの皆様。 また三箇所で避難されている従業員の方の安否確認、またご自身のご家族の確認等でひたすら避難先を歩いて回るとの事。 携帯電話も時間差が生まれ、まともに連絡が取れないので孤独感に苛まれながらの避難所回り。 ライフラインは動かない為、2週間はお風呂に入れず、電気もつかない為、ロウソクや自家発電で凌ぐも18時にもなると眠りに就かざるを得ない状況。 そして最も恐ろしいのが強盗。 明りがついているとその家が狙われる危険性が高い為、寝る時は木刀やバットを持ったまま寝ているという事に私達は驚かされました。 小さい子供ですらバットを握り眠るなんて考えられません。

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